2009/09/17

Beyond The Time

全国のヴィジョの皆様、酒井法子さんのテクニカルな(ズルいだけだ!)逮捕のされ方や釈放のされ方について「カッコいい」って言いやがった人がいて、悲しくなってはいないでしょうか?

釈放されたときの映像を観て、薄幸そうな顔が好きな血が騒いでしまい、「かわいい」という言葉しか出てこなかった自分の処分に悩んでいる、貴女のテクマ!です。


さて、私、先々月及び先月と原宿Ucessで行ったトークショーがなかなか好評だったため、今月末もやらせていただくことになりました。09/27の新宿MOTIONでの悪魔のようなアイツのショーとこのトークショー、シルヴァーウィークあけはどっぷり私と戯れましょう。詳細は以下です。


09/30(Wed) 20:00 〜
テクマ!'S WORKSHOP!! Vol.1

@Ucess(http://www.ucess.jp/

※SoccerBoy氏と共に、小室哲哉の音楽と思考をエレクトリックミュージックの観点から分析し、そこから派生した音楽を実践する。ゲストは非小室哲哉世代のrisu嬢。

出演:テクマ!(http://www.myspace.com/techmajapan
SoccerBoy(http://www.myspace.com/japanesesuperhero
risu(http://www.myspace.com/asairisu

※趣向:テクマ!及び悪魔のようなアイツ(http://www.likeadevil.com)にまつわるリリースを現在計画中のSoccerBoy氏とテクマ!が、テクマ!の音楽的原点(http://techmajapan.com/osenti/001.html)であり、保釈及び『罪と音楽』の出版により注目される小室哲哉の音楽と思考を、エレクトリックミュージックの観点から分析し、現代の音楽・アートに鋭く迫るワークショップです。分析だけでない芯の太さを見せつける為の「実践!」として、合間にはテクマ!のミニライヴを挟んだ、見応え、参加し応えのあるイベントです。
今回はスペシャルゲストとして、次回リリース作品のミックスをテクマ!が手がけているrisuさん(小室哲哉には毛ほどの関心もありません)にも登場頂き、TKトークによってかつてない形に練りあがっているであろうエレクトリック観点で、彼女の紹介もしてしまい、ミニライヴも披露していただきます。

また、こちらの開催にあたる参考資料として、私が2007/04/16に行った、TM Networkをお題にしたトークショーで配布したレジュメを再掲載しておきます。

このレジュメを書いたころに感じていた不安のひとつに、「この人は大人コンプレックスがあるから事業とかをやりたがるのかなぁ」というものがあったのですが、それの行き着く果てを逮捕という形で具体化されてしまったときは、「やっぱりか、、、」と悲しくなってしまったものでした。

では、どうぞ。


 今日のお題は「TM Network」です。超メジャーなバンドなのですが、ダサいバンドの代表、として語られることが多い不幸なバンドです。原因はたくさん考えられるのですが、最大の原因は「ダサい若年層ファンしかつけられなかったこと」これに尽きると思います。(90年代の小室ファミリーの時代にも、同じことがおきてしまったと思います。)そして、それを改善するために、ファンをカッコ良く啓蒙するとか、ファンとは切り離したカッコいい自分たちをアピールする、といった適切な処置を行えなかったことが決定的な原因ではないかと思います。ですので、なぜこういう状態になってしまったのかを、まずは歴史をたどりながら考えていこうと思います。
 まず、TMのデビューは1984年です。ここに最初の悲劇がありまして、テクノが完全に市民権を得て、テクノはもう古いもの・ダサいものとして認知されるようになりつつあった時代にTMはデビューしてしまったのです。テクノやテクノに影響を受けた音楽にひと段落がついて、ロックバンドはロックバンドらしいサウンドの方がいいのではないか、と思われるようになりつつあった音楽シーンに、ピコピコピコー、とカラフルな衣装で登場してきたら、これはもう茨城県民が去年の服で原宿に来てしまったようなものです。デビューしたてのバンドについての情報を集めている人というのは、大抵がすれっからしの音楽好きですから、この時点でこういうコア層に「ダサい」という烙印を押されてしまったことは、後々まで尾をひくことになったと思います。
 幸か不幸かTMはデビュー時には売れませんでした。その頃に売れたのはテクノの反動なのか、尾崎豊とかブルース・スプリングスティーンといったむさ苦しい人たち、それとマイケル・ジャクソンです。この状況において、TMのリーダー・小室哲哉が(他の二人は、音楽でもって世の中とどう対峙するか、ということはなーんにも考えていない、と思ってしまってよいです。それらしいことは言っていますが。)何とかしてTMを売らねばと悩んだ選んだ末に出した作戦は、テクノの流れにあるダンスミュージックに中高生向けの青春ソングをのっける、というものでした。時代と自分たちとのギリギリの接点を見つけたわけで、彼の一世一代の名案ですし、実際に大成功します。『Self Control』・『Get Wild』といった代表曲はこの手法の頂点です。
 ですが、ここでTMはまたしても後々まで尾をひく過ちを犯すことにもなったのです。「テクノの末裔」としてTMを応援まではしなくても見守ってきた純粋テクノ原理主義者の方々に、裏切り者として認知されてしまったのです。純粋テクノ原理主義者の方々というのは売上げには貢献しませんが、学歴や社会的地位が高くて口の立つ人が多く、またメディアの内部で働いていたり、メディアへの影響力が強いので、「メディアにおける評価」を左右できてしまうのです。ですから、新聞や雑誌やテレビといったオモテのメディアでいくら頑張っても、正体不明ながらも音楽ファンを左右する、「評価」というものをTMは得ることができなくなってしまったのです。いちばん分かりやすい例としては、90年代になるのですが、小室哲哉がレイブというテクノパーティーの一種を日本に紹介した際に、当時カッコ良かった『ウゴウゴルーガ』という番組に「レイブの王様」として小室哲哉を登場させて笑いものにして、彼からレイブをやる気を奪ってさせておき、その数年後にカッコいいものとしてレイブを定着させてゆく、という陰湿ないじめがメディアによって行われたことがあります。これに似たことはTM時代にもずっと行われていたのです。
 テクノを知っていた世代にはこのように扱われても、テクノを知らなかった世代には、シンセサイザーとコンピューターの山に囲まれてテレビの歌番組で演奏するTM Networkは超斬新なものに見えました。TMを聴くために親戚の家でバイトしてウォークマンを入手したり(例:テクマ!12才)、CDで聴くために兄妹と共謀して誕生日やクリスマスなどの「プレゼントをもらえる権利」をお金に換算し、それらの合わせ技でCDラジカセを入手したり(例:テクマ!13才)、カシオトーンとラジカセを駆使して多重録音で『Self Control』を録音したり(例:テクマ!14才)、シンセサイザーを買ってもらえる金持ちの息子の友達に嫉妬したり(例:テクマ!15才)、遂にシンセサイザーを入手したり(例:テクマ!16才)、そんな中高生が日本中に溢れました。そして売上げもコンサートの規模も拡大してゆくのですが、ある時点でストップしてしまいます。この原因となったのが、「中高生向けの青春ソング」であったことでした。
 90年代に入るとミリオンセラーとドーム以上の超大会場でのライヴがビッグアーティストのステイタスになります。ですがTMはそのどちらも手に入れられませんでした。その原因は、大学生・OL、といった層からの支持を得ることができなかったことにありました。「中高生向けの青春ソング」というのはある年齢になったら卒業してしまうものなのですね。もし自分が最初からそれを志向していたのなら、そこで満足しやっていくこともできたでしょうが、それは自分が必死に編み出した作戦であったために、小室哲哉は次の名案を考えられるはず、と試行錯誤します。自分の子分であった松本孝弘が、B'zでノドから手が出るほど欲しい客層の支持を集めていたことが益々彼を追い込んだと思います。そして強引なハードロック化を図り中高生にガッカリされた上に演奏力の低さを露呈したり、慌ててシングル曲をそれまでの路線に戻して「ワンパターン」というレッテルをメディアに貼られたり(これは金が入って調子に乗った木根尚登が「何曲同じコード進行で作ってるんだよー」とテレビ番組において発言したことにも原因があります)、迷走を続け、解散します。
 作戦の実現、という視点では失敗だらけの活動のようですが、これは小室哲哉の立場に立てば、であって、他の二人からすれば『Self Control』以後の作戦なんていうものはすべていらなかったものなのかもしれません。ひとつのバンドが成功したならば、それを大事に続けてゆくということもアーティストには大切なものだからです。小室哲哉が斬新なことをしたいと思っても、それを斬新なものとして受け入れてくれるのはファンだけであって、世の中にはそのように受け入れてはもらえません。そういう土台はもう『Self Control』の頃に「メディアからの評価」を得ることが出来なくなった時点で、失われてしまっているのですから。ですが私はこの分裂を納めつつ活動を行える道もあると思うのです。
 小室哲哉のどこがファンに支持されているかというと、彼が自分で思っているような「いつも斬新なサウンドを出している」というところではないと思うのです。それは、1984年時点におけるオーソドックスな曲構成や楽器の選択を行わずに、重箱の隅をつつくようにそれらを並べて作り上げられた「完成品としての曲」、ここにあると思うのですね。TMってのは出来た時点でヘンな音楽、良く言えばオリジナリティのある音楽をやれていたのですから、この自分の手による発明品に自信を持って、このスタイルを極めていけばいいと思うのです。これは小室哲哉が他の二人に対して思っているであろう音楽的な停滞、ではないと思うのですね。様々な音楽を吸収し、ひとつのスタイルの中にそれを溶かし込みアウトプットしていくというのは、実はとても高度なことなのですから、誇りをもってやれることだと思うのです。
 90年代も終わりどういう音楽なら売れてどういう音楽ならカッコいいか、なんてことは誰にも言えない、分からない時代になりました。もはやミュージシャンは佇まいのカッコ良さとその音楽に込められた確信のみで、良い悪いを判断される時代だと思います。こういうときにカッコ良くて、そして強いのは「自分の発明品である音楽」がある人なのですね。で、このスタンスに小室哲哉が立って初期のテイストバキバキの「TMの新曲」を80'な追い風が吹く中堂々とリリースした瞬間、メディアの評価も変わると思うのです。「僕は新しいことやってるんですよ」なんて顔をして何かするからボコボコにされるわけであって、「ただ私の発明品の最新版を作りました」という涼しい顔でやればいいのです。その発明品が20年の時を越えて、今また時流になった80'サウンドななわけで、こんなにカッコいいことはなかなかないと思います。

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